パンを一つ食べても思うのだよ。「私たちはどう生きるか?」
パンを一つ食べても思うのだよ。「私たちはどう生きるか?」
朝の散歩をしていたら、サンマルクカフェが目にとまりました。
ここの朝食は、ほぼコーヒー代だけで、パン類が一つついてきます。
ふだん、朝食は食べませんが、気になるものがあるときや、とてもお腹が空いたときは何かを食べます。
今日はあまりお腹が空いてはいなかったのですが、今日のセットはフレンチトースト。
薄い食パンを斜めにハーフカットし、それを3枚に重ねたものです。
以前食べておいしかったので、ついつい今日も食べてしまいました。
こういう話をすると、普段は食べないんですか?という人もいます。
朝食を食べた方がいい、食べない方がいい、3食しっかり食べたほうがいい、少食がいい、などといろいろ意見が聞こえてきそうです。
逆にドクター小池は、聞きたいです。あなたがそう言う根拠は何ですか?
だいたいの人が、こう言いそうです。
当たり前じゃないですか?
昔からそうです。
みんなそうです。
多くの人は、自分の考えを持っていないみたいです。
しかし、わかりづらい表現かもしれませんが、実は自分の意見を持っているのかもしれません。
みんなと同じが安心だし、怖くありません。自分の頭で考えないことは、快適で、とても楽です。
そんな、心の意見がありそうですね。
べつに、すり込まれた価値観を盲信する人の、一般的な意見を一々反発しているわけではありません。
すり込まれた価値観を盲信する人の一般的な意見を、キッチリと型どおり採用した小池なのに、それほど幸せや効果を実感できないことが多かったです。
まさに、学校や会社が、代表的ですよね。
一般的なルールに従っている割に、周りと足並みを揃えている割に、そんなにみんな幸せそうじゃない。
そんな、光景が目に浮かびます。
だから、ドクター小池の医療や、ドクター小池が啓蒙活動している協会では、「何言っちゃってるの、この人?」という意見が多く寄せられます。
すり込まれた価値観を盲信する人出身の小池は、一般人体質が残っているので、たまに迎合するようなこと、顔色をうかがうような社交辞令を言う事があります。
だいたい、後悔しますね。
「一般的」が大好きな人は、夢も希望も、目標もない人が多いです。
本人達は「ある」って言うのですが、それもしょせんは、自分で決めたわけではない一般的な常識的な目標です。
会社で出世するとか、見栄で生きるとか。
*本当にもとめていることは別にあるのに、社会的な成功をするだけ。
*他人の評価がとても気になって、見栄で生きるだけ。
それらのことだけに人生を費やして、人生の終わりを迎えることが、本当に幸せなのでしょうか?
本人たちは満足かもしれないけど、小池自身は寂しくなりそうです。
だから、いつも周りの人たちに(話が通じそうなぎりぎりの範囲の人たちまでに)、「私たちはどう生きるか?」と常に問い続けています。
そして、その答えをみんなで共有して、自分だけの答えを見つけるようにしています。
「私たちは、どう生きるか?」を一緒に考えていく仲間で新しいこと始めています。
何が良い悪いでもなく、優れている劣っているでもなく、自分だけの答えは何なのかを、同じ志の人と見つけて行きませんか?
朝ごはんについて考えようと思った方はこちらを参考にしてください。
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